折鶴ホールと折鶴ミュージアム

広島市においてかつて計画されていた標記プランって混同して語られることが多い。まあ秋葉前市長が混同させるような方向に持っていった、という側面もあるのだが。日経ビジネスオンラインに2014年1月31日付で掲載されている木曽崇氏の『「ダークツーリズム」と福島第一原発[archive]でも下記のように「折鶴ミュージアムが旧市民球場跡地に計画されている」と、両者が混同された状態となっている。

広島の折り鶴ミュージアム構想は、2010年に移転した旧・広島市民球場の跡地における開発計画として秋葉忠利・前広島市長が3期目の市長選で掲げた公約です。球場移設によって生まれた広島市内の一等地に、世界平和を象徴する折り鶴の保管および展示施設と、恒久平和と核廃絶に向けた様々な活動の拠点となる文化施設を建設しようという計画でした。

これら折り鶴を保管する倉庫を旧広島市民球場跡に移設し、ついでにそれらを展示する施設を作ろうというのが企画の始まりでした。この構想は、元々地域の文化人や市民団体らが起案したものだったのですが、それに東京の建築設計会社がデザイン提案という形で「乗っかる」ことで具体的な企画として進行しました。

しかし、広島市内の一等地中の一等地である旧市民球場跡を「倉庫」で占めることに対する反対はもとより、その開発と運営に多額の税金を投入する必要があることから、一般市民の間では根強い反対論が存在していました。一方、計画を堅持したい市長側は議会と市民の賛同を取り付けるために、この計画に様々な文化機能などを盛り込み、年間150万人を集客できると主張。それを「恒久平和への祈り」という美しい理念に包み込んで発信するという形で計画を推進しました。

まず、3期目の市長選での公約は平野市議のサイトに掲載されている[archive]。この公約においては、「折鶴ミュージアム」と「市民球場跡地再開発」は別枠で提言されており、折鶴ミュージアムが跡地に作られることは言及されていない。前市長と対立関係にあった平野市議も折鶴ミュージアムの場所についてはツッコミを入れていない。

次に「折鶴ホール」。これは、跡地事業計画募集の優秀作品としてあげられたもの。募集要項(リンク切れ URL: http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1169086801105/index.html)によれば、応募開始は2007年1月24日、応募締切が2007年3月26日、そして2007年6~8月に優秀作品が2つ選定され(最優秀作品は該当無し)、8月23日に市に報告された。

折鶴ホールの概要は提案者による提案書(リンク切れ URL: http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1187573235959/html/common/other/48cf64a3004.pdf)に記載されているが、PL教会よりも小さい敷地に設けられた建物であり、とてもじゃないが倉庫としての機能は無い。あくまでも一時展示場としての施設である。そして、前市長は「折鶴ミュージアムとは、他の場所に作る、折鶴ホールとは別の、より大規模の設備である」ことを明言している。すでにリンク切れだが、 http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1243223313204/index.html に下記のような記載があった。

現在、旧市民球場跡地の利用法として提案されている「折鶴ホール」は、シンボルとしてもデザインとしても優れていますし、公園としてまた広場として使う際の貴重な「アクセント」になると思います。しかし、規模は小さく、そこに10年分の折鶴を一目で見られる形で展示することは出来ません。私が考えている「折鶴ミュージアム」は、この「折鶴ホール」とは全く違った施設をどこか他の場所に造るアイデアであることを御理解下さい。

このように、折り鶴を保管する倉庫を旧広島市民球場跡に移設する、というプランが計画されたわけではなく、実際に提案された「折鶴ホール」も倉庫としての機能は無い。

個人的には、優秀作品を提案した池原氏と前市長との間に談合じみた何かがあった、という疑惑も陰謀論に過ぎないと思っている。だってもし本当に談合があったならもっと市の意向にそったものになってるはずだし、問答無用で最優秀作に選ばれていただろうから。

(2/7追記)

確認したところ、秋葉氏が市長選出馬を表明したのは2月23日。ということで時系列は以下のようになる。

  • 2007年1月24日 跡地事業案募集開始

  • 2007年2月23日 秋葉氏、市長選出馬を表明

  • 2007年3月26日 跡地事業案募集を締切り

  • 2007年4月3日 選挙公報発行。秋葉氏、広報にて折鶴ミュージアムを公約として主張

  • 2007年6~8月 跡地事業案として「折鶴ホールを含む提案」と他の一案を優秀作品として選定。最優秀作品はなし。

  • 2007年8月23日 跡地事業案の選考結果を市に報告

秋葉氏がどの時点で「折鶴ミュージアム構想」を表明したから確認できなかったが、事業案募集締切り前に「折鶴ミュージアム」という名前だけが提案者に伝わり、提案者はそれを受けて「折鶴ホール」を提案に含めた、というのが腑に落ちる解釈かと。

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